ONCE IN 気まぐれ写真館

スマホのおかげで写真はものすごく身近なものになりました。どこでも誰でもいつでも、誰かが写真家でカメラマンという時代にあえて、もう少し一歩踏み込んで写真を撮ってみたいと思うようになりました。追及すればするほど奥深い写真の世界。無限にある表現で記憶を記録していけたらと思います。

AIと写真

もはやAIが文明進化の歴史から削除されることはないと思う。

AI否定もAI肯定もしないけど、私は適当に楽しませてもらっています。

たとえば但馬の小京都と呼ばれる町の写真。

加工なしJPEG撮って出しオリジナルはこちら⬇️

f:id:echolo223:20260602133240j:image

真ん中の写真撮ってる人越しに時計台を撮った。

しかしどうも真ん中の人は必要なかったかも?とAIにつぶやくと、勝手に画像加工が始まった。

そしてできたのがこちら⬇️

f:id:echolo223:20260602133540j:image

まぁここまでは既存の現像ソフトでできるでしょう。ですが、さらに「道が寂しくなったからやっぱり人を入れて」というと出してきたのがこちら⬇️

f:id:echolo223:20260602133752j:image

驚きました。なぜこの人にしたの?と聞くと、この街の雰囲気に合うからと。そこでこの人はどんな顔をしてるの?と聞くと、

f:id:echolo223:20260602133923j:image

ちゃんと振り向かせてきました。

ちなみに、全く架空の人物らしいです。

 

プロンプト(AIに対するコマンド)一つで、写真の中では自由自在に世界を作り変えることができるようです。現実の世界でなくてよかった。最初の男性を消してしまったのが架空の世界でよかったです。

 

また簡単なタイムトリップもできます。

同じく出石の同じ場所で撮った写真⬇️

f:id:echolo223:20260602134433j:image

これを江戸時代にした写真がこちら⬇️

f:id:echolo223:20260602134523j:image

さらに200年後の未来へも⬇️

f:id:echolo223:20260602134601j:image

難しい作業なくプロンプトだけですぐに出来上がりです。面白くもあり怖くもあり…

 

普通の風景写真もゼロからできます。

たとえば「紫陽花の写真作って」というと⬇️

f:id:echolo223:20260602134836p:image

まずまずですが物足りないのでよくあるパターンですが、「寺を背景に入れよう」と⬇️

f:id:echolo223:20260602134946p:image

まだもう少し、

今度は寺を主役に「紫陽花を装花に」というと⬇️

f:id:echolo223:20260602135124p:image

最後に「この写真の白っぽい空は必要ないから木で埋めて」というとできたのがこちら⬇️

f:id:echolo223:20260602135249p:image

どうでしょう?どこかにありそうなバエ写真が出来ました。

 

つまり、自分のイメージした脳内画像があれば、AIとそれをある程度具現化していけるわけです。

今までの写真の楽しみ方からは外れてしまいますが、現像ソフトでもすでにAIが入っているのですから、どれだけAIをかませるか?という匙加減が面白くもあり、ある意味で何が現実かわからなくなる危うさもあります。

 

これからさらにAIは使いやすくなり、歩どまりのよい仮想世界を作っていくと思います。

ですから、あえてこんな時代に写真を撮る重要性とはどこに?という問題が発生するのですが、それはまた次回に。

 

Canon R5mark2は買いか?

こんにちは。

CanonからフラッグシップのR1。そして実質的主力選手の5シリーズからR5mark2が発表されました。

私はR5初代を2年使っていますが、どこにも不満がなく故障もなく描写の素晴らしさは言うまでもなく素晴らしく完璧なカメラだと思っています。「絶対に後悔のない写真を撮りたい!」という時は必ずR5を持ち出します。逆にR5で撮れなければ自分の実力不足か、あるいは撮れない定めだったと諦められます。しかしながらR5を持ち出して満足のいく写真が一枚も撮れなかったことは一度もありません。

まさに信頼できる本物の相棒カメラです。

 

で、

そんな信頼のR5を更にブラッシュアップしたR5mark2が出たけれど、それは買うのか?

というお話なのですが、私の答えは、

すぐには買いません。

ということです。

 

理由はすでに述べた通り、今使っているR5に何の不満もないということです。

自分の撮影スタイルにおいて今のR5以上に必要な機能や性能は必要とは思えないのです。ある意味そもそもが実用域では完成された頂点のようなカメラですので、そこから更に性能アップと言われても、理解はできるのですが、必要かと言われると要らないなと思うのです。

1000馬力のスーパースポーツカーが1200馬力になったようなレベル?例えが正しいか分かりませんが、そんな思いです。自分には違いがわかるかどうかも怪しいです。

ただ、大きく勘違いしていただきたくないのは、

R5mark2は素晴らしいカメラであることに間違いはない!

ということです。

もし私がR5を持っていなければ今1番欲しいカメラは?と聞かれたら第一候補は絶対的にR5mark2です。これは揺るぎません。R5の素晴らしさを実感してきていますから尚更です。

他社の同レベルのカメラのことは良く知りません。なぜなら、私はCanonが好きだからです。

だから、SONYNikonの同レベル機種に比べてR5が優れているとかいないとか、それはわかりません。ただR5を使ってきて絶対的な信頼をしていますので、R5mark2も同じであろうと推測しています。おそらく間違いではないでしょう。

一つ言えるのは、

この先、R5がなんらかの理由で使えなくなった時に買い替える、あるいは買い足して自分の新しい相棒を選ぶ必要が生じれば、それはR5mark2(あるいはmark3とかmark4とか?笑)だなということです。買い替えられる機種が延々と作られ続けるであろうことは嬉しいことです。フラッグシップのR1そしてR5mark2が出たことでCanonに対する信頼度が増して、これからも安心して写真ライフが楽しめることが何よりも嬉しいです。

 

ライカについて考えました

令和6年5月現在、ライカが流行っている。

(ここで言うライカとはM型ライカとQシリーズに限定したい。以下 ライカ=M型 でお願いします)

正確にはYouTube界隈で流行っているということだけれども、数カ所で「ライカ!ライカ!」と何かと賑わっているように思う。

僕は良いことだと思う。

どんな形であれ、カメラ業界が賑わうのは写真を趣味にしている僕には明るい話題に思える。

レンズも含めてかなり高額なカメラだからでしょう、何かと賑わいに批判意見も出ている気はするのだけれど、それも含めて面白い。

 

値段やカリスマ性を全く無視して、ライカ(M型)を使う想定を自分なりにすると、田舎暮らしの自然派写真が主体の自分にはあまり指向性が合っていない気はする。

もちろんライカで自然が撮れないわけではないが、どちらかというと国産のメジャーメーカーの方が応用範囲が広いし楽しめる気がする。

(しつこいようですが、あくまでもM型のお話です。ライカSLシリーズなら国産メジャーメーカーと同じように使えるはずです。)

自然が撮れないわけではないけれど、僕はやっぱりライカには街が似合うと思う。街といっても相当に小洒落た街。東京 名古屋 京都 大阪 神戸 福岡 などなど。あるいは小京都と呼ばれるような粋な街もいいですね。そんな風景の中にさりげなく人がいるみたいな、バイアス的な見方だとは思いますが、ライカで撮る写真の僕なりのイメージ。

そういったシチュエーションはいわゆるスナップ写真と呼ばれる分野になると思う。

大都市や小粋な街でライカを手にスナップショット!

カッコいい❗️

と本当に思います。なんか気分がのってくる気がします。写真の出来は他のカメラと大きな差はないと思うけれど、スピリットの面でライカでないと撮れない写真はあるように思う。

ただ…田舎暮らしの僕が所有することはないだろうな。もちろん高価だし、それだけの投資をしてライカに似合う写真を撮る予定、つまりライカで楽しめる予定が今のところないなと思うのであります。

 

 

 

 

 

何を撮りたいの?何を言いたいの?

百聞は一見にしかず

 

この言葉は非常に怪しいと僕は思ってる。

人間の視覚は何かと騙されやすいし、見たことがそのまま事実なら優れた手品師にかかればあるはずのものが無くなり無いはずのものがあることになる。視神経を通じて情報が脳で整理されるまでにエラーがおこらないとは限らない。

 

写真も同じだが、写真の場合は人間の曖昧な記憶に頼ることなく、証拠として画像が残るので、たとえ合成写真や騙し絵のようであったとしても情報として多くの人と同じものを共有でき、分析もできる点は非常に優れていると言える。

 

その点で写真にはある種の責任が伴うと思う。

 

撮影者が何を見て、それをどう思い、どう伝えたかったのか?SNSのようにテキストを貼り付ければわかりやすいけれど、写真だけ見て事実と思考を伝えるには、ある程度の試行が必要だし、その歩留まりが上がることが即ち写真の技量がアップしているということになるかと思う。

 

以下は何気ない庭の写真

f:id:echolo223:20240424182533j:image

エビネランという小さな花が今年も咲いた。

とはいえ、これは咲いた記録的な写真。一応背景はボカしているけれど、「エビベランだね」と言うだけの写真。

 

そこでイメージとして開く前のエビネランを足してみた。

f:id:echolo223:20240424182817j:image

さらに説明的になり、蕾を見せたいのか、花を見せたいのか、今ひとつ説明的過ぎて写真に魅力はない。

ただ、これが悪いわけではなく説明的な写真が欲しければ正解でもある。

 

しかし今は、今年も咲いたエビネランの可憐さを表現したかったので、あえて説明的になる花は写さず、ポイントを蕾にしぼることにした写真がこれ↓

f:id:echolo223:20240424195430j:image

 

雨の日だったのでWBは青系にしてクールな感じに。手前にある別の植物の葉を前ボケにして隙間から蕾を写し、小ささ、可憐さを表現。

庭の隅にそっと咲くエビネランに対する想いを表現できたかなと思う。

 

最初に書いたように写真は記録の役割も多く、説明重視の写真であれば多くの正解があると思うが、詳細なテキストなしに、そこに撮影者の想いを載せることができたら、あるいはそれを見た人が新たな想像の世界を広げられたら、写真は事実を伝える証拠の域から抜け出すことができると思う。

 

 

なぜ写真の技術を学ぶのか?

現在のカメラは非常に優秀でオートモードでシャッターを押せば誰でも簡単に適度にピントと露出のあった写真が撮れる。

ひょっとすると偶然に運良く写真が生まれるかもしれない。

だけど、技術を学んで練習を重ねれば、その偶然を必然に変えることができるかもしれない。

つまり気に入った写真が撮れる確率が上がり、写真を撮ることが楽しくなる可能性が高まるのです。

f:id:echolo223:20240422172202j:image

変わらない大切な箇所

写真を撮るための機材がどんなに進化しても、良い写真を撮るために必要なことは3点。

 

狙い通りの焦点

狙い通りの露出

狙い通りの構図

 

これに尽きる。

…と誰かが言ったことを何処かに書いてあった。

僕はこれに同意する。

どれも外せない。逆に写真ってそれ以外に何かある?と言いたくなるほど大切な要素。

それぞれの項目を自分なりに解釈し更に人にうまく伝えられるようになれば写真力が向上していくということだろうと思う。

f:id:echolo223:20240421100346j:image